山梨県立文学館

赤毛のアン

2013年8月2日の読売新聞山梨版記事から知りました、『甲府市出身で「赤毛のアン」の翻訳者として知られる村岡花子(1893~1968年)が、今年で生誕120周年を迎え、その波乱万丈の人生を紹介する展示会が開かれるなど、県内で顕彰する動きが活発になっている。来春、NHKの朝の連続テレビ小説でも取り上げられることが決まり、観光客増への期待も高まっている。』

◇ 山梨県立文学館では平成25年度 夏の常設展として、2013年6月11日(火)~9月1日(日) 「村岡花子生誕120年」
山梨英和学院ホームページ 2013年12月「村岡花子展」のご案内

◇ 村岡花子の生誕120年記念 村岡花子と赤毛のアンの世界 村岡恵理 編 河出書房新社 2013.03.26 発売 定価1,680円(本体1,600円)

◇ 「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」のページから引用しおきます。このホームページは終了しています。
『2013年と2014年は、展覧会の準備などのため「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」は休館いたします。 オープンハウス(一般公開の見学会)も当分の間お休みさせていただきます。大変申し訳ございません。 展覧会の詳細は追って掲載いたします。』

「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」を私は訪問することはかないませんでしたが、訪問された方が書かれた記事が残っています。サイトは 西馬込庵、西馬込、池上周辺地域の情報サイトで、2010年3月18日 赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 【末尾の追録を参照】

2015年春に蔵書や資料を村岡花子の母校である東洋英和女学院に移設されたとのことです。そして東洋英和女学院にはホームページが設置されました。
「花子とアン」から見る東洋英和女学院
『村岡花子。1903(明治36)年から1913(大正2)年の間、東洋英和女学校で学んでいました』「学院史料展示-村岡花子と東洋英和-」

2006年7月22日(土)~8月27日(日) 山梨県立文学館で 「赤毛のアン」の世界へが開催されました。
甲府市出身の村岡花子によって、1952(昭和27)年に初めて翻訳出版された『赤毛のアン』の世界を紹介した企画です。写真は撮影できませんでしたが、子供たちのお手紙、感想文、絵なども別室に展示され、そこではお母さんと一緒に絵を描いている子供たちも大勢いました。夏休みの企画としてとても素晴らしいものだったと思います。いただいて帰ったポスターをここに画像として掲載させていただきます。

「赤毛のアン」という邦訳名は村岡花子さんの命名で、原題はAnne of Green Gables(緑色の切妻屋根の家のアン)というものですが、その後に沢山ある翻訳でも「赤毛のアン」として定着していると思います。児童向けにアニメ映画になったものを甥や姪たちと見た覚えがありますが、図書としてはこれから読んでみたいと思います。 アニメを見た記憶ですがグリーン・ゲーブルズとは地名だと思っていたほど、この原作のことは知りませんでした。村岡さんの訳本と松本侑子さんの訳本とを読み比べてみたいとも思いますが、これは時間との競走になりそうです。

子供のころの読書三昧の思い出が次々に湧いてきますが、トムソーヤーとかハックルベリーとか、宝島、王子と乞食・・・これは竹中英太郎記念館で江戸川乱歩から連想している少年探偵団や怪人二十面相の想い出ともダブります。それは中学になってから芥川や漱石を手にする以前の活字に親しむ基礎作りだったようにも思います。だから充実した図書館はマルチメディア時代の子ども達にこそ必要なのだという気持ちを強くしています。

村岡花子が住んでいた東京都大田区大森中央地区は池上通りの沿線であり、馬込文士村 という山王、南馬込もこの通りの右側(西側)になります。高台の土地で坂道が多く、複雑な道路に迷いやすい地域です。

赤毛のアン赤毛のアン
赤毛のアン (C)2006 山梨県立文学館
【追録】 赤毛のアン記念館・村岡花子文庫(Wikipedia)
休館 2014年時点ではウェブサイト上で「2013年から2014年までは資料貸出に伴い休館中」と案内していた。2015年5月の時点では、「2015年春より蔵書や資料を村岡花子の母校である東洋英和女学院に移設する準備のために一般公開はしていない」となっていた。
移転 2015年4月14日に東洋英和女学院六本木校地 本部・大学院棟1階ロビーに「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」がオープンした。