黒平能三番

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黒平能三番
訪問記 2008年
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黒平能三番(のうさんば) 山梨県無形民俗文化財

黒平町の歴史

黒平村は明治7(1874)年8月に猪狩村,高町村,御岳村,草鹿沢村と共に合併し、宮本村の一地区となりました。
宮本村は昭和29(1954)年10月8日の山梨県告示により甲府市に編入され、同月15日甲府市議会議決により10月17日から黒平町と改称されて甲府市の町のひとつになり現在に至っています。この時同じく猪狩町,高町,御岳町,草鹿沢町も誕生したわけです。

「くろべらちょう」郵便番号 400-1211 でマウントピア黒平管理事務所の電話番号 055-287-2201 からNTTサイトで確認するとフレッツISDNのみが提供中のエリアとなっています、収容ビルは「甲斐御岳」とのことです。ちなみに、猪狩町イカリチョウ 400-1217、高町タカマチ 400-1212、御岳町ミタケチョウ 400-1218、草鹿沢町ソウカザワチョウ 400-1219です。

山梨県黒平村以前の歴史については、「甲斐国志」「山梨県史」及び「甲府市史」山梨県立博物館や図書館などで読まねばなりませんが、それは後日の課題として少しWebページを調べてみます。

黒平地区は下黒平と上黒平に分かれていて、マウントピア黒平は下黒平地区にあります。上黒平は御岳林道でさらに先になります。荒川の上流下流という意味での上下のようです。
甲府市サイトには「とびだせ!市民レポーター」というホームページがありますが、2004年2月号で黒平温泉の紹介記事があります。『金櫻神社から金峰山を結ぶ御岳道沿いにあったので、湯治客のほか、参詣者でも賑わった』との記載がありますので山岳信仰の事も調べてみなければなりません。
2006年9月号は上黒平地域のガイド、黒戸奈神社や能三番にも少し触れられています。10月号では下黒平地域訪問記が掲載されています。
2002年3月に甲府市教育委員会文化芸術課が「黒平の民俗」(甲府市黒平町総合民俗調査報告書)を刊行、これは甲府市立図書館、山梨県立図書館などに所蔵されています。甲府市サイトでは「黒平町の歴史」として抜粋ページがあります。

地図を確認すると私が能三番の会で訪問したマウントピア黒平は地域の入口だったことがわかります。次の機会には上黒平まで探訪しこのページを更新したいと思っています。

甲府市例規集には、「甲府市マウントピア黒平条例」(平成3年3月20日)と「甲府市マウントピア黒平条例施行規則」(平成3年7月25日)があります。

黒平の産業

昔はともかく現在では農林業、とくに林業が中心だと感じます。甲府市サイトでは「能泉・宮本」地区が該当すると思います。上のように歴史を知れば昔の名前も判断できます。林業の様子は未だわかりませんので後日の課題です。ちなみに昇仙峡の荒川ダムがあるのは「能泉湖」です。
林業と関係すると思いますが、平成13年度山梨県特用林産物品評会「木炭の部 優良賞 藤原一郎(甲府市・マウントピア黒平)」、更に「平成17年度 特用林産まつり」でも「木炭の部 最優秀賞」と記録されています。
御坂林道で路肩に多数見かけた標柱で「水源かん養保安林」を読みながら、この地域が荒川、能泉湖を経由して甲府市の水道に繋がっていることを感じました。

もうひとつ黒平で思い出すのは水晶です。水晶の産地だったと書かれた記事を読んだ記憶がありました。しかし私は専門外で知識ゼロですから以下、記事にリンクして通り過ぎます。
検索でヒットした「山梨の峠と鉱物」『半鐘峠(水晶峠)は、甲府市・旧宮本村にある』と書かれていて、確認してみたらこの筆者のサイトには沢山の関連ページがあります。
「山梨の水晶」に歴史が詳しく、「山梨県黒平向山鉱山の水晶」のページもあります。「山梨県水晶峠の鉱物」は道案内にもなっています。その他、「黒平のアマゾナイト」、「山梨県甲府市黒平の松茸水晶」、「山梨県水晶峠御堂川の鉱物」、「山梨県水晶峠の水晶バラエティ」、「山梨県水晶峠の山入り水晶」などのページがあります。
そして「山梨県地場産業センタの鉱物」という記事には以前甲府駅前に飾られていた大きな水晶の事が駅前の変貌と共に書かれていて参考になりました。「かいてらす」には何度か行きましたが全く無関心で気付きませんでした。既に富士河口湖町に移転してしまった山梨宝石博物館ですが甲府にある時に訪問したかった施設です。甲府に近い所ではやまなし伝統工芸館にも黒平の水晶に関する史料があるかも知れません。山梨大学には「水晶館」という施設があることが「晩秋の昇仙峡と甲府市北部」に書かれています。

文化・観光産業の視点で見ると温泉宿は既にありませんが前述の「マウントピア黒平」の他に同じく市営の「市民いこいの里」が上黒平地区にあります。隣接の御岳町に「御岳文藝座」があります。
今後の展開が期待できるのは、「NPO法人黒平自然の森学校」です。「黒平自然の森学校」(2007-07-22 記事)として私のブログにも書きました。湯村山の遊歩道設置(2008-03-18 記事)にもご活躍なさった方々です。
金櫻神社(かなざくら)は有名施設で路線バスで行くことができます。ここから黒平まで約8キロの交通手段はタクシーか自家用車しかありません。しかし「とびだせ!市民レポーター」のページにあるような癒し文化のポイントや水晶に関する遺跡もあるので滞在型やまあいの里として地域活性化も可能な気がします。

新暦2月14日に十四日祭(道祖神祭)が開催されます。バレンタインデーです!
毎年5月4日、2008年は第6回の「黒平寒晒しそば講」、その前夜祭で「能三番」も上演され私は初訪問したのです。
10月末には「黒平ほうとう祭り」が開催されます。甲府市サイトの「☆あっこのとっておき☆デジカメ日記」に2007年が第17回、過去の記事も掲載されています。

少し気になるのはISDNしか無く、私のau携帯電話が圏外だった情報通信環境ですが、いずれなんとかなるでしょう。

ちなみに甲府市議会野中一二議員の「黒平に行こう」も平成13(2001)年の記事ですが私が甲府に来てインターネットを放浪しながら「黒平」の事を初めて読んだ記事だった思います。それから数年を経てやっと黒平にたどり着きました。

能三番

黒平の能三番は昭和35(1960)年11月7日付けで山梨県の無形民俗文化財に指定されています。平成17(2005)年度山梨県文化賞では地域における文化活動で文化財保護(伝統文化)の奨励賞を上黒平能三番保存会と下黒平能三番保存会がそれぞれ受賞しています。(参照記事、山梨県学術文化財課 民俗文化財のページ-平成20年3月31日現在-及び平成17年度山梨県文化賞

昭和59(1984)年に山梨放送が、「残そうふるさと文化-黒平の能三番」というビデオテープを制作、これは山梨県立図書館に所蔵されています。

昭和62(1987)年3月に甲府市教育委員会が編纂、山梨日日新聞社が出版した「こうふ文化財ウォッチング」にも黒平の能三番が収録されているようで、その解説や画像が「やまなしまなびネット 文化財情報」に掲載されています。

平成17(2005)年10月15日に開館した山梨県立博物館で開館記念「やまなしの道祖神」が開催された時、11月27日に下黒平能三番保存会のみなさんによる「黒平の能三番実演」がありました。

2008年3月23日に伝統芸能支援事業・やまなし再発見講座 無形民俗文化財「黒平と能三番(お話と実演)」(キャンパスネットやまなし連携講座)が開催され53名の参加者があったそうです。この講師を務められた藤原一郎さんが「マウントピア黒平」の管理人さんです。産業の項で触れたように炭焼き名人でもあるようです。

能三番については先にご紹介した「黒平の民俗」(2002年刊)から甲府市サイトに「黒平の能三番」として抜粋掲載されています。インターネットで読める記事としては一番詳しい紹介と思えます。
このページから引用しておきますが、能三番の構成は次のように書かれています。2008年5月3日は大鼓が無く藤原さんが舞手兼務で7人で演じられていました。

能三番において、地謡を行う者をショウホンヒキという。これは地謡の他に、拍子木も打ち、また、プロンプター役にもなる。もっとも重要な役であり、この芸能に詳しい者がやる。(写真で左にお座りの方です)
舞手は、翁・黒木の尉・千歳である。翁は九十九歳の老人で、白面をつける。黒木は男性で、黒面をつける。千歳は姫で、面はつけないが、鼻の先に白粉を塗る。 鳴り物は大鼓・小鼓・笛である。大鼓は一人で、小鼓は中鼓一人、脇鼓二人の合計三人である。中鼓は能三番をよく知っている人がなった(藤原一郎さんです)。笛は最低一人いればよく(右奥の方)、能三番を行うには最低九人いればよい。上黒平と下黒平とでは、翁舞に少しの違いがあるそうだが、全体的にはほぼ同じであるという。

能三番の説明
能三番、上演前の説明
「能三番」を調べていて「式三番」との内容的な同値性に気付きました。「能三番」で検索すると『当時の申楽の興行は能三番、狂言二番からなる・・・』というようにほとんどがノイズになります。「能三番」としては「黒平能三番」に関するページしかヒットしないのです。思い付いて「三番叟」という検索でやっと情報を手繰ることができました。

埼玉県蓮田市の「閏戸の式三番」のページから私は黒平の能三番との類似を感じました。(閏戸の式三番(PDFファイル 440 KB)

山梨には「岡の式三番」(笛吹市八代町)があります。毎年1月14日の道祖神祭りに限って演じられるとのことです。

都立日比谷図書館所蔵16ミリ映画目録 累積版ホームページ中にある「 風俗習慣・民族学」のページですが、[K0769]「桧原村の式三番」の紹介があります。『日本の芸能のうちでも特に儀式的舞踊として格式を重んぜられる「式三番」は猿楽能より発し、一方は歌舞伎の式三番にまた一方は民俗芸能として各地の庶民の間に広まっていった。甲州黒平の流れを汲むという檜原村小沢の「式三番」もその一つ。昭和27年に東京都の無形文化財に指定された。』
確認すると檜原村「郷土芸能紹介」ページにある「小沢式三番」には、『起源は中世の頃と伝えられており一度中断しましたが、約230年前の明和7(1770)年に、甲州黒平から師匠を招き復活しました。』とあり、遠い昔の話ですがこの時代に黒平と奥多摩との交流に驚きます。この記事から考えると能三番=式三番として理解してもよさそうに思います。
編注・(都立日比谷図書館で所蔵していた16ミリ映画フィルムは、平成21年4月にすべて都立多摩図書館へ移管いたしました。)とのこと

黒平で拝見したのは蓮田市の記事にあるように、千歳(素面)-翁(老人の面)-三番叟(黒木の尉、黒い面)という順序の舞だったように思います。千歳から鈴を受け取った三番叟が舞って終わるということが一致しています。「翁:能にして能にあらず」という記事の最後に書かれている、『舞の神事的な雰囲気は、普通の能楽の持つ雰囲気とは全く異なったものだ。観客は、芸能を見ているというよりは、儀式を目撃しているような感を覚える。』という点が、私が御神楽のような感じを受けたことを示しているように思えます。