冊子「リニアで変わるやまなしの姿」の作成及び配布に係る損害の補填等を求める知事措置請求の監査結果について
1 請求の受付
地方自治法(昭和22年法律第67号。以下「自治法」という。)第242条第1項の規定に基づく山梨県職員措置請求書(以下「請求書」という。)が、平成30年4月17日、甲府市 川村晃生、中央市 藤田英明 外9名(以下「請求人」という。)から提出された。
2 請求の要旨
請求書及び請求書に添付された事実を証明する書面に基づき、請求(以下「本件措置請求」という。)の要旨を、概ね次のとおりと解した。
○ 本件冊子の内容は、山梨県が策定したリニア環境未来都市整備方針(以下「整備方針」という。)に基づいて、漫画によりリニアの利点のみを希望的観測に拠りつつ羅列したものにすぎず、沿線住民や乗客への影響、さらには自然破壊や財政など、国民が背負うことになる負の問題点には一切触れていない。
リニアによって変わる山梨の姿は、リニア開通に伴う騒音、振動、日照等による沿線住民の生活被害や、南アルプスのトンネル掘削をはじめとする自然破壊、また、リニア実験線への県費の投入や国による3兆円の財政投融資など、様々なデメリットがあるにもかかわらず、それらについては完全に無視し、一言も言及しないという点で、極めて一方的かつ偏向した内容になっており、このような内容の冊子を作成し、県民に広報することは、それ自体大きな過失である。
○ 本件冊子を作成し各学校へ配布する際、教育委員会を経ずに山梨県から直送したことは、手続上適切ではなく、また、情報をコントロールし、生徒に一方的な価値観を植え込もうとするこのような冊子を、県内の公立、私立を問わず、全ての小・中学校、高等学校の児童・生徒に配布したことは、更に大きな過失である。
このことは、憲法第13条前段の「個人の尊重」及び憲法第26条の「教育を受ける権利」のほか、それらを受けた教育基本法第2条 ・学校教育法第21条の「教育の目標」に示される「幅広い知識と教養」「真理を求める態度」「個人の価値の尊重」「公平な判断力」等に抵触する。
○ さらに、リニアの負の部分や沿線住民等の疑問や苦痛に対しては無視し、何らの配慮も示 されていない本件冊子を作成し広く県内に配布する行為は、憲法第92条に基づく自治法第1条の趣旨(地方自治の本旨に基づく民主的で公正な行政)に抵触するとともに、沿線住民等が有する憲法第14条の「平等に取り扱われる権利」や憲法第13条後段の「幸福追求権」を侵害するものである。
○ 本件冊子の作成及び配布に係る違法性を踏まえると、それらに関する契約自体が無効である。
○ 相手方(作成及び配送費・約1,200万円を受領した者)は、不当利得として受け取った代金を山梨県に戻し、同時に山梨県は、配布した冊子を回収し相手方に戻すことを請求する。
○ または、リニアがもたらす被害や自然破壊、財政負担等の冊子を新たな予算によって、住民を交えて15万部作成し、同様に配布することを請求する。
○ さらに、上記の請求が履行不能の場合は、山梨県知事及び山梨県リニア環境未来都市推進室の責任者等は、連帯して代金相当額(約1,200万円)の賠償金を山梨県に支払うことを請求する。
1 請求人の証拠の提出及び陳述
平成30年5月15日、自治法第242条第6項の規定に基づき、請求人に対して証拠の提出及び陳述の機会を設けた。なお、証拠の追加については、指定した期日までに提出がなかった。
2 監査対象事項
本件措置請求に係る監査対象事項として、次の点を判断することとした。
(1)本件冊子の内容の妥当性
(2)本件冊子の学校等への配布及び広報の妥当性
(3)違法又は不当と認められる場合の損害の範囲と必要とする措置
3 監査対象部局
山梨県総合政策部
4 監査の方法
自治法第242条第4項の規定による監査は、次の方法で実施した。
(1)書類調査及び事情聴取
監査対象部局に対して関係書類の提出を求め、書類調査及び必要に応じて職員から聴取を行った。
(2)陳述の聴取
監査対象部局に対し、平成30年5月15日に陳述聴取を行った。
本件措置請求について、合議により監査の結果を次のとおり決定した。
山梨県知事に対する措置請求については、請求人の主張には理由がないものと認め、これを棄却する。
以下、請求書及び請求書に添付された事実を証明する書面、平成30年5月15日に実施した請求人及び監査対象部局の関係職員の陳述、並びに監査対象部局への監査により確認した事実を踏まえた判断について述べる。
1 事実関係の確認
関係書類の調査及び監査対象部局に対して監査を行い、下記の事実を確認した。
主な経過は下記のとおりである。
・平成 23 年 05 月 営業主体・建設主体の指名、整備計画の決定
・平成 25 年 09 月 環境影響評価準備書の公表
・平成 26 年 08 月 環境影響評価書の公表、工事実施計画申請
・平成 26 年 10 月 国土交通大臣による工事実施計画の認可
・平成 27 年 12 月 南アルプストンネル(山梨工区)の工事着手
・2027年 開業(予定)
主な経過は下記のとおりである。
・平成 27 年 8 月~検討委員会の開催(計5回)
・平成 28 年 8 月 検討委員会から知事への提言
・平成 29 年 2 月 整備方針(素案)の決定、公表
・平成 29 年 2 月~3月パブリックコメントの実施(意見提出 22 件)
・平成 29 年 3 月 整備方針の策定、公表
イ 内容
山梨県の現状及び将来展望を踏まえ、リニア環境未来都市の基本的な考え方、駅周辺及び近郊の整備における目指すべき姿や、リニア環境未来都市の創造に向けた取り組みなどを示している。
(3)本件冊子の作成について
② 内容
本件冊子は整備方針に示された内容に基づき、リニア開業から10年後に想定される山梨の姿の可能性の一つを表現したものであり、リニア開業による移動時間の短縮効果や、産業や観光、日常生活で想定されうる変化、リニア開業による経済効果などについて記載されている。
本件冊子の作成に当たっては、財務会計上の手続きを経て専門のコンサルティング会社に作成支援業務を委託し、社会資本整備に係る費用対効果を算出する際の方法を用いて経済効果を算定するなど、専門的見地から監修がなされていた。
(4)本件冊子の配布について
② 学校への配布
山梨県の未来を担う県内の児童・生徒に広く配布するため、各小・中学校、高等学校等に配布を依頼し、配布に当たっては、事前に県教育委員会総務課、高校教育課並びに義務教育課等と協議するとともに、平成30年1月30日付で、各学校長、県教育委員会高校教育課長並びに義務教育課長、及び各市町村教育委員会教育長あてに、本件冊子作成の趣旨や依頼内容について文書で通知した。
・配布時期 平成30年2月
・配布先 県内小・中学校、高等学校等 322校
契約日 | 契約額 | 支出日 | 支出額 | |
---|---|---|---|---|
リニアで変わるやまなしの姿 冊子作成業務委託 |
H29. 9.26 | 4,860,000 円 | H30. 3. 5 | 4,860,000 円 |
リニアで変わるやまなしの姿 冊子作成支援業務委託 |
H29. 9.26 | 969,840 円 | H30. 4. 3 | 969,840 円 |
リニアで変わるやまなしの姿 冊子印刷等業務委託 |
H29.12.11 | 4,341,600 円 | H30. 3.19 | 4,341,600 円 |
リニアで変わるやまなしの姿 冊子配送等業務委託 |
H29.12.19 | 906,120 円 | H30. 3.27 | 906,120 円 |
リニアで変わるやまなしの姿 英語版作成業務委託 |
H30. 1.29 | 900,000 円 | H30. 4. 6 | 900,000 円 |
合 計 | 11,977,560 円 | 11,977,560 円 |
上記の契約に係る手続き及びその支出については、山梨県財務規則(昭和39年山梨県規則第11号)等に基づき処理されていた。
本件冊子には、整備方針に基づいて、リニア開業による移動時間の短縮効果などについ ての記述がされているが、整備方針は、都市計画や景観、環境分野等の学識経験者や関係 市町の首長等で構成された検討委員会の提言などを踏まえ、パブリックコメントを通じて 広く県民の意見を募集し意見反映を行うなど、必要な手続きを経た上で策定されたもので あることは事実関係において確認したとおりである。
さらに、本件冊子を作成するに当たっては、整備方針の内容をもとに、専門のコンサル ティング会社に委託し、社会資本整備に係る費用対効果を算出する際の方法を用いて経済 効果を算定するなど、記載内容について専門的見地から検討を行っており、その内容に重大な事実の誤認や著しく妥当性を欠いている点は認められず、妥当な内容であると判断できる。
② 環境などの問題が記載されていないことについて
請求人は、本件冊子は沿線住民や乗客への影響、さらには自然破壊や財政など、国民が背負うことになる負の問題点には一切触れておらず、極めて一方的かつ偏向した内容であると主張している。
本件措置請求において沿線住民の生活被害として挙げている騒音や振動、日照等については、言うまでもなく日常生活に関わる重要な課題であり、監査対象部局の関係職員の陳述において、事業主体に対し引き続き丁寧な対応を求めていくとの発言があったとおり、県においては、現在、リニア中央新幹線の整備に伴う諸課題に対し、法令に基づく環境影響評価手続きや事業主体に対する働きかけなど、沿線の市町や関係機関等と連携しながら対応している。
こうした中、リニア開業を見据え、山梨の未来や自分たちの将来について、県民一人ひとりに考えてもらうことは重要であり、そのきっかけとなるよう本件冊子を作成したとの趣旨は十分理解できる。
さらに、本件冊子は上述の趣旨のもと、県議会での議論を経て必要な予算措置がなされ、財務会計上の適正な手続きによって作成されたものと認められることから、請求人が主張するような整備中に取り組むべき課題が記載されていないとしても、そのことをもって本件冊子を作成したこと自体が違法又は不当であると言うことはできない。
なお、請求人が主張するリニア実験線への県費の投入や国による3兆円の財政投融資などの財政負担については、国や事業主体、関係機関において議論されるリニア中央新幹線計画に係る事柄であるため、監査委員として判断できる立場にない。
(2)本件冊子の配布及び広報の妥当性
本件冊子は、整備方針の内容を踏まえ、次代を担う児童・生徒をはじめ県民一人ひとりに、リニアを活用した山梨の未来を考えるきっかけとしてもらうという趣旨に沿って、財務会計上の適正な手続きを経て作成されたものであり、妥当な内容であると認められることは前述のとおりである。
また、本件冊子を学校に送付するに当たり、事前に県教育委員会等と協議し、各学校長、各市町村教育委員会教育長あてに、事業の目的や配布の趣旨などを記した依頼文書を送付しており、学校現場に十分配慮した対応を行っているとともに、その依頼文書にあるとおり、教材として使用してもらうために本件冊子を学校に配布したものでないことは明らかであることから、本件冊子を直接学校に送付し児童・生徒への配布を依頼したことが、教育の独立性の侵害に当たるとの主張は認めることができない。
② 県民への配布、広報について
請求人は、リニア中央新幹線の整備に係る周辺環境への影響等が併記されていない本件冊子を広く県内に配布する行為は、憲法第92条に基づく自治法第1条の趣旨、憲法第13条後段、及び憲法第14条の規定に反し、沿線住民等の権利の侵害に当たると主張している。
この点についても、当該内容の冊子を作成、配布したことは、その目的、内容から妥当というべきであり、自治法の本旨である民主的で公正な行政はもとより、憲法に定める基本的人権の尊重や法の下の平等に反するとの主張は認めることができない。
(3)まとめ
本件冊子は、児童・生徒を中心とした県民が、リニア開業後の山梨の姿を感じ取るとともに、山梨の未来を考えるきっかけとしてもらうため、リニア開業の10年後に想定される社会の様子をわかりやすく示すことを目的に、議会での審議を経て予算化され、適正な執行手続きによって作成・配布されたものであり、違法又は不当というべき重大な事実の誤認や社会通念に照らして著しく妥当性を欠いた点があったとは認められず、本件冊子の作成・配布に係る契約は無効であるとの主張に、理由を見いだすことはできない。
単に部分最適化に過ぎなかった過去の施策の失敗から学ぶべき事が多いはずの山梨県政が、リニア中央新幹線事業にのめり込み、彼等が描く未来像に誤りは無いか否かすら検討していない状況が、「リニアで変わるやまなしの姿」に如実に現われているのです。
それすら気付こうとしない、或いは自分達が進める事業に障りある情報はあえて公表せず共有対象から外しているような人々かも知れません。
そのような人々に地域行政を任せ続けている県民自身の責任も大きいのです。