市民による街づくり
このページの中味は2006年頃までですが、野中さんの記事は今でも巡回先になっていて、ヒントを頂きながら自分のブログやWebページを書いています。
2006年11月05日のブログで『明日からは会派視察で長崎と鳥栖、足を伸ばして由布院へと視察に行きます。』とアナウンスされました。関連のホームページにリンクしておきます。
長崎市は「都市景観基本条例」・・・視察記録が掲載されました
鳥栖(とす)市はJリーグ「サガン鳥栖」と行政、鳥栖スタジアム・・・「鳥栖スタジアムを満員にすることが子どもたちの夢です。」・・・視察記録が掲載されました
湯布院町(合併新市-由布市)は街づくり、・・・湯布院町ホームページ『 このホームページは、しばらくの間、大分県由布市湯布院振興局のホームページとして、由布市湯布院地域の情報を発信します。』と書かれて残されています、こういうのって嬉しいですね。
11月10日はマニフェスト大賞の発表がありますが、サイトを見ていたら、『由布市議会 小林華弥子 「議会広報の拡充、景観対策の推進 ほか」』がマニフェスト大賞(グランプリ)ノミネートされていることに気付きました。野中一二さんは視察先でこの方々と面談なさったのでしょうか。・・・視察記録が掲載されました、マニフェスト大賞の事も追記されています。
「ゆふいんWEB」
湯布院については、数年前に甲府湯村の常磐ホテルで山梨総合研究所さんが主催されたフォーラムで湯布院からお出でになった講師の話を聞いた事があります。まだ甲府の右も左も分からない時でしたがホテルにはたどり着けました、当然ですけど(^o^)
2006年8月29日~山形県上山市と宮城県仙台市を市議会経済建設常任委員会で視察、テーマはコンパクトシティ、中心市街地活性化
仙台視察の番外で、「すばらしい仙台市営博物館」がブログ記事になっています
平成の大合併とか呼ばれる全国的な動きと揆を一にして山梨県でも町村が消えて市が増えました。郡が無くなってしまう地域も出てきました。
これを見つめていた野中さんは『今回の合併に対して、以上のような本質的な「人の暮らし」という観点からその基本的な議論が行われてきただろうか、どうもそうではないような気がしてならない。むしろ、地域間の諸問題に対して財政的な側面からの議論に終始してしまったような気がしてならない』とお書きになります。合併も「市民による街づくり」の一環だと捉えねばならないところが、それとは異なる方法で進んでしまったという意味だろうと思いました。
住民の「暮らし」というのが全て自治体の財政問題に直結する、財政が厳しくなるからどうしても合併せねば(させねば)ならないと考えるのは、疑問だと感じているのですが、それは未だ行った事の無い県内の僻地(^_^)についてホームページなどを見た時からです。「暮らし」では無く「暮らし方」の問題だと思ったからです。そのことをいみじくも今回の記事で上のように指摘されたと感じました。六本木ヒルズに住む暮らし方もあれば山家に晴耕雨読という暮らし方もあります。
それでは広域合併(主として甲府市についてですが)について述べて来られた意味は何かということになるでしょうが、その意味は「市町村の境界線は引いてない」という言葉に表わされていると思います。暮らしている人々は境界線など気にしません。確かに財政状況によって自治体ごとに「福利」施策は異なるでしょうが、人々は隣町の公立病院に出かける事を阻止されている訳ではありません。図書館などの広域利用も問題なく行われているはずです。そういう生活福利インフラ(広域事務組合とか含めて)が共通なら一緒になった方がベターであり、厳しくなる国や地方財政の推移の中で「暮らし」を維持するならそれしか無いということでしょう。しかし我々の「暮らし方」としてこれで良いのだという人々に「暮らし」を均一にすべくむりやり合併を強いる意味は無いということを感じます。
合併しない小規模自治体で残る問題は財政問題に密着する「福祉」をどうするかになるのかも知れません。一定の福利水準(生活の幸福と利益)が得難い人々(経済的あるいは心身的問題)に対する国や自治体としての施策です。しかし理想的に言えば「暮らしてみたい街」では介護保険を使う必要が無い、昔はそんな制度が必要無かったように人々の生活が組み立てられていたと思います。
行政側は「暮らしを均一にする責任」から合併を推進してきたのでしょうが、次の段階では自分たちの「暮らし方」で良しとする人々は何をすべきかということになるでしょう。甲府市で話題の自治基本条例、住民が住民の手で暮らしてみたい街を作る動きは重要だと思っています。これまでどおり暮らしていきたい町村は住民と行政が一緒になって、それを実現する自治基本条例を組み立てればよいのではないか、それは「暮らし」もスモール・イズ・ビューティフルな町(村)づくりという条例になるのかも知れません。そんな「暮らし方」に憧れる都会人が増えそうです。そしてもっと大きな問題は「暮らし」を維持すべく財政問題に煽られて合併した小規模市の今後かなとも思うのですが、これは私も勉強しないとわかりません。
そのビルが、JR青森駅前にある事、そして上層階に市立図書館を移転させ、そこを訪れた人々が下の階にある「青森市男女共同参画プラザ」にも寄りながら、4階から地下までのショップも訪れるというシャワー効果を期待した設計が当たったようです。公共施設とパルコが一緒になったようなビルなんて面白い発想だと思いました。
同じ発想では甲府中心街活性化対策として、甲府銀座ビルのリニューアルがありました。甲府市の施設「こうふアルジャン」とスーパーの「オギノ」とそのビルに以前からある映画館の複合体になったのですが、それぞれがバラバラにならざるを得ないビルの構造なので、初めて訪れた時にはがっかりしました。勝手連としてはオギノに寄っても上まで行くことは無いのが最近です。それは「こうふアルジャン」で何をやっているかが行ってみるまで分からないという理由もあります。
甲府では駅に近い県民情報プラザ、ここは以前はスーパーの西友が入っていたので、構造的には甲府銀座ビルよりおしゃれに使えそうですが、2階にある県政資料室より上には何があるのか知りません。甲府市の活性化のためには、やはり甲府駅北口再開発に期待するのが良いのかな。それにしても県庁は相生小学校の跡地くらいまでずれてくれないかな、と小さな声で言ってみます。
コンパクトシティについて、山梨総合研究所さんの記事に「甲府圏域における持続可能なコンパクトシティ化施策を探る」があることを知りました。青森市、福島市と甲府市の比較がありました。(ページ2番目の記事です)
『去る5月18日に「古の道」の現在の終点に、展望広場と言う名称の小さな公園が出来ました。この場所は甲府市水道局中区配水地の一角にあり、春のさくらの頃には施設内を開放して花見が出来る場所です。』
と書かれている「寄付による植樹」(言いたい放題の記事)は、この方の発想に賛同し市民による街づくりを目指す皆さんの事が書かれています。
中区配水池のゲート手前にこの展望公園があります。
訪ねた日にはアジサイが咲いていました。
晴れた日なら西の方の山々まで一望できるようです。
昨年(2004)春に中区配水池のお花見に出かけた事を思い出して探したら、道標の写真が一枚見つかりました。甲府市ってこういうさり気ないきめ細かさが街のあちこちにあるんですよ、でもホームページを通じたPRは下手な甲府市かな?
「あんしん掲示板」で『甲府市中心街に「桜座」オープン準備中』と知りました。山梨日日新聞さんの2004/10/5 付け記事が保存されていますが、最初は明治9年(1876)8月、桜町に三井座落成として山梨県の歴史に記録され、その後明治23年(1890)8月 甲府桜座開設と記されています。
記事から判断するとその場所は以前にブックオフ系列の店舗があった近くと思います。NPO法人「街づくり文化フォーラム」さんのご活躍で復活するのですね。この事は昨年の「言いたい放題」でも書かれていました。
ここで取り上げられているのは「ごみ処理」と「エネルギー」に関係する問題が中心ですが、もうひとつ未来都市(家庭)では「情報の遍在化(ユビキタス・ネットワーク)」という事があります。家の外にいてもわが家のエネルギー管理や冷蔵庫の中味情報まで知る事ができる現実がすぐそこに来ているようです。「あっ、今日はごみをキッチン・ディスポーザーで流せる日だった!」とか思い出して、溜めてあった生ごみを下水に流すように会社からインターネットでディスポーザーに命令するような事が起こり得るかも知れません。100年の都市計画の中で「個人宅の情報管理」と都市全体の情報インフラとがどのようにマッチしていくか。インターネットを使いこなすこの方の脳裏には、こんな問題についても行政の対応するあるべき姿が熟成されつつあるように思います。
コミュニティ・バスが実用化された時、次のバスはどこまで来ているか、バス停で待っている人にリアルタイムに表示できたら、利用者は増えそうに思います。その為のインフラが市民全体のための都市内情報インフラの一部として作られたら、甲府市は情報化先進都市になるでしょう。
市内循環バスの計画がスタートしています。2004年9月~11月実施予定の甲府市コミュニティバス実証実験計画書がホームページに掲載されました。
「甲府都市計画区域の整備、開発及び保全の方針の決定」という山梨県の「都市計画区域マスタープラン」が公開されています。これは下記の甲府市都市計画審議会で2004年2月28日に県から説明され意見聴取がなされたものという事です。県としての「決定」ですから今後の変更は無いのかも知れませんが、行政情報を可能な限り市民に知らせていくというこの方の姿勢が分かるホームページ作りだと思いました。
2004年1月29日に開催された甲府市都市計画審議会の審議内容で、「用途地域の指定のない区域」における建築形態規制の素案について(案)というページが議会・政治活動分野のフォルダーで公開されています。これは甲府市都市建設部建築指導課さんの資料をそのまま公開されたもので、市民の皆さんへの情報提供として迅速なものでした。2月3日には甲府市ホームページでも『「用途地域の指定のない区域(市街化調整区域)における容積率等の指定について(案)」に対する意見の募集』として公開され公式掲示板にも特設ページを作って意見交換の場を提供しています。これも素早いアクションでした。
以前は市民が知らないうちに色々な制度の変更が決まり、決まってからでは文句も言えないということが多かったと思います。それがこんな風に市民の意見を聞いてから決めるというように変わってきたのですね、それに対して市民がどのように対応していくかは市民自身の問題だということになると思います。
1月21日の上九一色村視察紀行から立て続けに、22日からは水戸市、翌日のつくば市の視察記録と続いていますが、街づくりの100年計画と市町村合併とを切り離しは考えられないこの方のスタンスが良く分かります。
上九一色村の南部は富士河口湖町、北部は甲府市との分村合併を目指しておられましたが、ここにきて南部も含めて甲府市との合併という構想が出てきている、その為の市議会有志の方々の視察だったようです。富士ヶ嶺(フジガネ)の酪農製品が甲府市産品に加わり市内はもとより全国にも展開されるなんていいなぁと思いました。
- ■Bo's Scrapbook Homepage
- 富士ヶ嶺にお住まいのデザイナー沼田 望(ぬまた・ぼう)さんのホームページです、「酪農物語」というページもあります。
- ■富士ヶ嶺酪農を支える若者たち
- 畜産情報ネットワーク(農畜産業振興事業団)ホームページの中にあります
- ■県内特産品一覧表
- ■上九一色村
- 「西八代地域再発見マップ」西八代共生のまちづくり塾実行委員会さんのホームページから
- ■朝霧高原&富士ヶ嶺高原
- 朝霧高原は静岡県ですがお隣になります
- ■富士豊茂小学校(ふじとよしげしょうがっこう) のページ
- このページには、富士豊茂小学校から寄せられたデータがまとめてあります。
- ■戦後日本文化と建築意匠の相関の研究:森川嘉一郎-サティアンをめぐる言説
- いやな思い出ですが建築文化論的な考察の記事を見つけました
11月14日になって、7月九州視察の追加記事として、「太宰府天満宮の門前町」と「知覧武家屋敷群街づくり」の二点が掲載されました。市議会会派での視察だそうですが、「なんだ、視察とか言っても、遊んでいるのか!」なんてクレームがつく話もよく聞きます。でもこの方は街づくりの観点からしっかり見て、批判もしながら、甲府の再生に益するものをつかみ、記録しておられると思いました。このように個人の目と心で見た現物のページは、観光絵葉書ではない姿を見せて教えてくれるのだと感じました。
知覧町は特攻隊の基地があったので(映画「ホタル」など)、リンクから覗いてみたら特攻隊記念館のホームページがありました。「歴史公園とシビックコア」のページにも書いたのですが、甲府市にも旧日本軍の駐屯地がありました。その歩兵第四十九連隊(通称甲府連隊)は、今の国立病院や山梨大学付属中学校、団地などの北新地区にあり、緑ヶ丘は練兵場だったそうです。北口は甲府連隊の門前町として発展したとかも聞きます。北口開発についてはそんな歴史も残せると良いですね。
2003年10月14日に会派視察で松本市の中央西土地区画整理事業・町並み環境整備事業を視察した記録がホームページに掲載されました。甲府市同様に城下町で同程度の人口規模の「街づくり」から、この方が感じられたものは『為せば成るのだ』、甲府「再成」ですね。
「市民による街づくり」、どうすれば出来るの
ごみと街づくりに走り続けるこの方の街づくりの原点は「甲府が大好き」という事にあることが、先日の集会のお話でも分かりました。「酒折宮」に伝わるヤマトタケルノミコト(日本武尊)連歌の伝説以来の歴史がある街、甲府、その最高峰である金峰山(海抜約2600m)の頂上から南の大津町(海抜250m)に至る甲府を眺めるとジェットコースターのように見える、その形は曲がった瓜のようだという事です。
その街の交通インフラを考えると、道路拡張は不可能である、路面電車も無理である、そこでバス、それもマイクロバスを手段とする交通インフラでいくべきだというのが、現在の自分の構想の到達点だと話されました。ホームページの中では、「街づくりとは」という大きなテーマで括り、2002年に書き上げた「100年で考える都市計画」で、その構想を体系的にまとめています。
ここに至る過程では、市議会議員として活動が始まった年、1999年(平成11年)の12月に早くも小冊子として刊行され、後にホームページに収録された「2000年発 未来の甲府へ-くらしてみたいまち甲府に向けての提言-北口地区及び中心部地区編」があります。これと対になる著作としては、自然に恵まれた昇仙峡をはじめとする北部山岳地域を中心に歩き回り、「甲府市北部は宝の山」を主題として2000年10月に印刷刊行した小冊子がありました。これもホームページで「第2部-北部山岳地域編」として収録されています。
これらの実地研究と理論化を現実のものとするために、この方が選んだ道は「街づくりは一人では出来ない、だから自分達、暮らしている街のみんなでやる」ということだったのです。その活動のひとつは「サマーフェスタin北口」というイベントとして1999年夏から始まり、初回の参加1500人が2002年の第4回では1万人を超える参加者を集めるイベントに成長しました。この過程で得られたノウハウが「市民による街づくり」として甲府中心部にも活用できるという考え方です。
「サマーフェスタin北口」で生まれた余剰金を「あなたも街づくりに参加しませんか」と全国に呼びかけ、「街づくりコンペ」を実施したのが2000年(平成12年)11月から翌年4月にかけてです。インターネットを活用し、全国の関係団体・会社などに260通のメールを発信、126件の問合わせが来て応募された中から選ばれた優秀作品がホームページに掲載されています。最優秀作品は社団法人山梨県建設設計協会「オセロ計画」です。この時の応募作品の中には600万円の経費を掛けた作品もあったそうです。しかし優勝しても賞金は40万円だったのです。「市民が参加する街づくり」というコンセプトの威力を実感します。このコンペの実績は甲府市で現在進行中の甲府駅北口地区整備構想にも寄与しています。(参照・甲府市の関連ページ)
「暮らしているみんなで街づくり」というコンセプトが実るためには、皆に同じ方向を向いていただく事が必要だ、それを地道に実行していくひとつの計画が「アジサイで飾る街づくり」なのだという事です。「雨でうっとうしく、人が買物にも出てこない日、でも美しいアジサイで飾られた街なら・・・」、など色々な点から「アジサイ」に決めたとの事。水をやるのはご近所のみなさんだそうです。
このような街づくりへの思いは、2001年8月23日の「言いたい放題」で「サマーINきたぐちが語る街づくりとは」として語られてもいるのです。さらに市民と直接顔を合わせるお付き合いの中から、という限定されたものではなく、この方はインターネットを活用して市民の考えを自分の考えとして検討し実行に移していく行動力も示します。「街なかの保健室」は甲府市の公式掲示板から生まれた中心部活性化のアイディアとして2003年3月に実を結びました。ますます進展していくインターネット活用、e-Japan、e-Yamanashiで生まれる政治のあり方を、この方は先取りしているようです。
100年先を見ながら甲府の都市計画を考える、その一方で1年後には花が愛でられる事を想ってアジサイを増やしていく市民と議員。大局をみて小局から着手する市政、それを推進し、また監視もする議員、その両輪がちゃんと機能する甲府市の未来に大きな期待を持ちながら、議員さんには市民の代理として議論し仕事をしていただきたいと思います。